ドウダンツツジ(新潟県立長岡工業高校)
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
■2008年11月12日16:00頃/快晴/新潟県糸魚川市能生(旧西頸城郡能生町)
国道8号線を車で走っているといつも気になっていた町である。
西は海、東は山が迫っている町だ。
狭い敷地を有効活用するためか古い木造3階建の住まいも見える。
この日は所用の帰りに、国道から1本中に入った通りをほんの20分程見学。
路地が曲がりくねって消えて行くまち並み。
レベル差があり、見上げて見下ろしシークエンスの変化に富む町。
面白い!
今度は時間をかけて見学したい。
早朝や夕暮れに浮かび上がる時間帯もよさそうだが、
海が大荒れの真冬の厳しい季節に訪れるのもよさそうだ。
(漁師さん、申し訳ありません)
今日は写真2枚だけのイントロ編。
細い路地。赤レンガ塀の一点だけに夕刻の光が当たり、オイデオイデをしていた。
酒は加賀の井、やっぱりここは糸魚川市だ。
夜になって看板が点灯したら、吸い込まれるように入店しそうだ。
格子が夕方の斜光線で浮かび上がっていた。
日中、屋内からは通りの様子は見えるのに、屋外を歩く人からは屋内の様子はよくわからない。
屋内に明りが灯る夜、この関係は逆転する。
格子は屋内と屋外を緩やかに繋ぐ建築装置だ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今年6月の山中、「なんだ、これ?ヘビが鎌首をもたげたようだ」って写真を撮った。
そして今年の10月の山中、「なんだ、これ?赤いトウモロコシだ」って写真を撮った。
一昨日、「赤いトウモロコシはマムシグサって言うんだってさ」と家族が教えてくれた。
テレビで東京奥多摩の赤いトウモロコシの番組をしていたのを見たのだそうだ。
ネットで調べたら、確かにマムシグサだ。(フムフム)
6月に撮影した植物も、10月に撮影した植物も同じマムシグサだったってわけだ。
正確にいうと、上の写真の紫褐色の方はムラサキマムシグサ、下の写真の緑色の方はカントウマムシグサという(らしい)。
宿題が1つ解けたような気分だ。
■2008年6月7日11:00頃/新潟県長岡市栖吉町
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
長岡市の平場でも19日の夕方から今季初の降雪。
なんだかボサボサ雪で積もりそう。
仕事場のデスク脇の窓をチョコット開けてお手軽カット。
ブルッ!サムッ!
■2008年11月19日17:14/雪/新潟県長岡市幸町
翌20日の朝、友人宅。
ドウダンツツジの赤も、イチョウの黄色も絶頂期だったのに、早くも雪景色。
ブルルッ!
■2008年11月20日10:00頃/小雪/新潟県長岡市悠久町
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
■2008年11月14日19:30/晴れ/新潟県長岡市今井町/今宮公園
だいぶ前から光の弱〜い夕日を撮ってもゴーストが出る。
レンズかカメラがおかしいようだ。
撮った月の廻りにピンクの輪がかかるのもそのせいらしいので、この夜に試し撮り。
結果は、お月様の廻りはどのカットもピンクの輪が。
せっかく三脚持って夜の公園をうろうろしていたのだからと、撮ったのがこの写真。
たま〜に、人が通ったりするとドキッ!とする。
いやいや、あちら様の方がビックリするよ、夜中にカメラ持ってる怪しいヤツってね。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
■2008年11月9日/9:00〜12:45/曇り/新潟県長岡市寺泊野積
弘智法印の即身仏(ミイラ)を御開帳している真言宗の寺院である。
良寛が45歳の時に一時住んでいた。
私にとっての建築写真は2種類ある。
1つは、仕事の資料・参考とするための記録としての写真(記録写真)。
もう1つは、感動したところを切り取る写真(感動写真)。
記録写真と感動写真が同じ構図になればいいのだが、それがなかなか難しい。
「記録写真」=「感動写真」のカット数が多い程、優れた建築とも言える。
●記録写真
まずは記録写真から。
客殿。禅宗様桃山造り。唐破風と懸魚が特徴的。唐破風のある建築ってちょっとユーモラスに感じる。
宝物館。三層楼閣建築、唐破風、非対称で本願寺飛雲閣に何やら似ている。ユーモラスだ。
●感動写真
次は感動写真。といってもたいした写真じゃないのでご容赦を。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
■2008年11月3日/13:45〜15:00/曇り、風強し/新潟県長岡市寺泊片町
良寛が住んだ密蔵院のある照明寺の境内。
良寛もこの境内を歩きながら詩歌をつくったのだろう。
この日、11時から15時まで密蔵院と照明寺の境内を撮って、寺泊港に車を移動して遅い昼食。
その後、車の中で寝こんでしまい目が覚めたら17時で、下の写真。
日が沈んだ南西方向はどす黒い雲り空なのに、西は雲間から残照。
良寛もこんな不思議な空模様を見たことがあったことだろう。
この日は風強く、近くの間瀬漁港では竜巻が発生したそうだ。
残照もここまでと、ふっと振り向けば空には三日月が。
シャッタースピードはスローの1秒。
その1秒の間に雲が月を横切るからか、なんだか半月のように滲んでしまった。
こんな時、どうやって撮ればいいのだろう?
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
■2008年11月3日/11:30〜13:40/曇り時々雨、風強し/新潟県長岡市寺泊片町
良寛が生涯で3回住んだといわれている密蔵院。
現在の建築は1958年(昭和33年)に再建されたものである。
良寛が居住していた住まいがこのような数奇屋建築であったかどうかは不明だが、外から見た限りは一級品の建築だ。
屋内は見学予約が必要とのことなので、こんど申し込みたい。
設計は新潟県柏崎市出身の庭師・田中泰阿弥(たいあみ)。
http://www.nfcnet.co.jp/nfcmg/clip/clip_200407022.htm
田中泰阿弥のことは初めて知った。
写真を撮りながら、ディテールを見つめながら感じた。
かつての日本建築はメンテナンスを前提に造られていたのだと。
補修しながら代々住み継いでゆく。
つい戦前まではそうだったようだ。
傷んだ塗壁を補修し、風雪にさらされた板壁は張り直し、・・・。
だから愛着も湧くし長いこと使われるのだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
写真の素人が、今日から写真ブログを始めます。
よろしくお願いします。
------------------------------------------------------------------------------
■2008年11月2日/8:00〜10:30/晴れ/新潟県燕市国上(くにがみ)
良寛(1758年〜1831年)は新潟県三島郡出雲崎町に生まれた。
18歳、出家し同町の光照寺へ。
22歳、岡山県倉敷市の円通寺に修行に出る。
39歳、生まれ故郷に帰ってきた。
40歳から59歳まではここ五合庵に居住。
その後、直ぐ近くの乙子(おとこ)神社草庵に移り69歳まで暮らしたそうだ。
五合庵と乙子神社草庵の30年間程が良寛芸術の円熟期。
五合庵は良寛を研究する人にとっては聖地のような場所だ。
五合庵は建築的にどうこう言う必要のない建築のように思えた。
いい意味で普通の建築である。
清貧を信条とする良寛が普通に暮らしていた住まいである。
ただ、良寛を生んだ一要因は越後の気候風土にあると写真を撮りながら強く感じた。
近所のおじさんらしき人が、落葉の後片付けをしておられたので聞いた。
私:「なかに入って写真を撮ってもいいですか」
おじさん「見ての通り、なんも撮られるもんはないからいいよ」
私:「落葉掃除、大変ですね」
おじさん:「たくほどは かぜがもてくる おちばかな」だよ
私:「はあ?・・・」
おじさん:「なーんだ、しらないで写真撮ってたのかね。はははは。ほら、そこ」
って指差した先に、良寛の句碑があった。
落葉掃除、お疲れさまです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント